大衆迎合的な「国会議員削減論」「歳費削減論」に反対する

 今回の参議院議員選挙で、複数の政党が、「国会議員の定数を削減する」「議員一人当たりの歳費を削減する」との公約を掲げていました。

 
 私は反対です。そして、こうした公約が、「国の厳しい財政状況を踏まえ、国民にばかり負担を強いるのではなく、国会議員自ら身を削るべきだ」との論理で語られることに、議会制民主主義の危機を感じます。

 
 そもそも議員の数を減らせば、多様な国民の意見をなるべく忠実に国会に反映する、という事ができなくなります。特に、人口減少が著しい地方にとっては、人口比例で選挙区が区割りされ、議員の数が決められるわけですから、その地域を代表する議員が少なくなり、結果、地方の実情を知り、その声を国政に反映していくこと、ひいては地方の疲弊を止め、地域の活性化を推し進めることは困難になるでしょう。

 次に議員歳費を減らすことについてですが、国会議員が自己の選出区域の実情を的確かつ迅速に把握し、地域の人々の声を十分に収集するためには、地元に張り付く秘書の数が一定程度必要になります。また、国政レベルでの問題点の調査、政策の調査・研究・立案をするためには、それなりの能力を持った秘書を雇用することが必要ですし、その数も一人では足りません。

 国会議員は公設秘書2名、政策秘書1名を国費で雇用することができますが、その託された使命を考え、かつ現在の混迷した社会状況を打開するビジョンと力を兼ね備えるには、3人の秘書では足りないことは明白です。

 必要かつ十分な能力と識見を兼ね備えた秘書を複数人雇用すれば、それなりの人件費がかかります。秘書が活動する拠点となる事務所も、電話・パソコン、コピー機、ファックス、膨大な資料や本を収納するスペースなど、それなりの設備が必要になります。
 これだけを見ても、国会議員の歳費は、その使命を十分に果たすためには決して多額なものではない、削減などあり得ないと考えられるのです。

 では、なぜ「議員削減論」「歳費削減論」を多くの政党や政治家が唱えるのか。私は、得票目当ての単なる大衆迎合だと思っています。「政治家も身を削っています」と、一見思わせるのに都合がいいからです。でもその実態は、政治家が身を削っているのではなくて、日本の議会制民主主義を貧弱なものにするだけのことなのです。

 さらに言えば、「議員削減論」「歳費削減論」は、政治家が「私たちは、国民の意見を代弁していませんから、人数を減らしてもらっても結構です」「私たちは、頂いている歳費に見合うだけの仕事をしていませんから、そんなに頂かなくても結構です」と「自白」しているようなものなのです。
 国民の皆さん、騙されてはいけません。ご用心、ご用心。